「優雅な月よ Vaga luna che inargenti」は、ヴィンチェンツォ・べッリーニ(Vincenzo Bellini, 1801-1835)が作曲した作品で、歌曲集は1838年にカーサ・リコルディ社から出版されました。 イタリア・ベルカント様式の美しい歌曲の代表作です。
「優雅な月よ」歴史と解説
「優雅な月よ」は、作詞者不明の歌詞にべッリーニが作曲をし、ジュリエッタ・ペッツィ(Giulietta Pezzi, 1810-1878)に捧げたアリエッタです。
他の2曲のアリエッタ「Il fervido desiderio」と「Dolente immagine di Fille mia」とともに、歌曲集「3つのアリエッタ Tre Ariette」として、彼の死後から3年経った1838年にカーサ・リコルディ社が出版しました。また、彼の死後100年にあたる1935年に『Composizioni da Camera』という15曲入りの歌曲集にも収められています。

ヴィンチェンツォ・べッリーニの肖像画
ベッリーニの特徴である優美で繊細なメロディーが存分に生かされたこの曲は、イタリア歌曲の中でも特に人気の高い作品の一つです。オペラ作曲家として成功を収めたべッリーニの、歌心溢れる旋律の美しさが凝縮された歌曲であり、声楽を学ぶ学生にとっては「ベルカント唱法」の基礎を学ぶための重要なレパートリーにもなっています。
シンプルでありながら深い情感を持つこの作品は、19世紀初頭のロマン派音楽の叙情性を代表する名曲として、今も多くの歌手によって愛唱されています。日本語では「優雅な月よ」の他にも「ゆかしい月よ」「美しい月よ」と訳されることもあります。
ヴィンチェンツォ・べッリーニの生涯

シチリア島の音楽一家に生まれたベッリーニは、若い頃からその才能を発揮し、ナポリ王立音楽院で著名な音楽家たちに師事しました。ロッシーニやドニゼッティとともに19世紀前半のイタリアオペラ界を代表する天才で、ショパン、ベルリオーズ、ワーグナーらの賞賛と愛情の言葉を得ていることで知られています。
しかし、1835年1月に作曲した「清教徒」が大成功を収めましたが、突如として病に伏し、同年9月23日に33歳という若さで短い生涯を終えました。
ベッリーニが生み出した心を揺さぶる優美な旋律と、音楽と言葉を融合させた表現力は、ヴェルディをはじめ、ベルリオーズ、リスト、ショパンなどに賞賛され、多くの音楽家に影響を与えています。
「優雅な月よ」の意味

「優雅な月よ」は、遠く離れた恋人への想いを夜空に輝く月に語り、愛する人に伝えて欲しいと願う切ない恋心を歌った曲です。離れ離れになった恋人への愛しさと悲しさを綴った詞と、ベッリーニの優美なメロディーが相まり、美しい愛を表現したカンツォーネに仕上がっています。
「優雅な月よ」原曲歌詞と日本語訳
【1番】
Vaga luna,che inargenti
queste rive e questi fiori
ed inspiri agli elementi
il linguaggio dell’amor;
美しい月よ、この岸辺と花々を銀色に輝かせ
あらゆる物に愛の言葉を吹き込む
testimonio or sei tu sola
del mio fervido desir,
ed a lei che m’innamora
conta i palpiti e i sospir.
今、お前だけが証人だ
私の抑えきれない熱情を知っている
私を恋に落としたあの女に
この胸の高鳴りと、恋ゆえの嘆息を語ってくれ
【2番】
Dille pur che lontananza
il mio duol non puo lenir,
che se nutro una speranza,
ella e sol nell’avvenir.
遠ざかるほどに 私の悲しみが癒えることはない
この想いを、あの女に伝えてくれ
もし希望を抱くならば
それはただ未来にあるのだと
Dille pur che giorno e sera
conto l’ore del dolor,
che una speme lusinghiera
mi conforta nell’amor.
どうか、あの女に伝えてくれ
昼も夜も 私は苦悩とともに時を刻み
儚い希望だけが、私の愛を慰めていることを