カンツォーネ

フニクリ・フニクラ 歌詞の意味・解説

フニクリ・フニクラ(Funiculì, Funiculà)は1880年にルイージ・デンツァが作曲したイタリア大衆歌曲です。日本でも大変有名なこの曲、実は当初は登山電車のコマーシャルソングとして誕生しました。

フニクリ・フニクラの意味は?歴史と解説

この曲の歌詞はナポリ語で書かれていますが、古くから伝わるナポリ民謡ではなく、実はコマーシャルソングという役割で生まれた歌曲です。

1880年にヴェスヴィオ山の登山電車=フニコラーレ(Funicolare)を運営するトーマス・クック社の依頼によって、ルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・ペッピーノ・トゥルコが作詞しました。デンツァとトゥルコはこの急勾配の登山電車からすぐにインスピレーションを受け、2人は数時間でこの曲を書き上げたと言われています。

(出典:vesuvioinrete.it)

同年のピエディグロッタの祭典で発表されると、広く大衆に親しまれる歌となりました。リコルディ社出版した楽譜は1年間で100万枚以上の売上を記録したそうです。
コマーシャルソングなので、もちろん原曲の歌詞は「登山電車に乗ろう!」という内容です。
フニクリ・フニクラ」という言葉の意味は「フニコラーレ」をもじった愛称のような呼び方です。

当時のヴェスヴィオ山の写真 (public domain)
当時のフニコラーレ(出典:vesuvioinrete.it)

当時の写真を見ると、かなり急勾配で山頂まで鉄道が続いているのがわかります。
1944年の大規模なヴェスヴィオ山の噴火により、この鉄道は破壊されてしまいました。

フニクリ・フニクラ 原曲歌詞と日本語訳

【1番】
Aissera, oje Nanniné, me ne sagliette,
tu saje addó, tu saje addó
Addó ‘stu core ‘ngrato cchiù dispietto
farme nun pò! Farme nun pò!
夕方僕は登ったんだ
どこだかわかる?
君の恩知らずな心が
僕を悲しませないところ

Addó lu fuoco coce, ma se fuje
te lassa sta! Te lassa sta!
E nun te corre appriesso, nun te struje
sulo a guardà, sulo a guardà.
火が燃えている場所だけど、もし逃げれば
君は逃げるまま
君を追いかけたり悩ませたりしない
見ているだけなら

Jamme, jamme ‘ncoppa, jamme jà,
Jamme, jamme ‘ncoppa, jamme jà,
funiculì, funiculà, funiculì, funiculà,
‘ncoppa, jamme jà, funiculì, funiculà!
行こう 行こう 頂上へ
行こう 行こう 頂上へ
フニクリ・フニクラ・フニクリ・フニクラ
行こう フニクリ・フニクラで!

【2番】
Se n’è sagliuta, oje né, se n’è sagliuta,
la capa già! La capa già!
È gghiuta, po’ è turnata, po’ è venuta,
sta sempe ccà! Sta sempe ccà!
電車は登って、もう登って
頂上だ 頂上だ
到着して戻ってまたやって来る
ここに止まる ここに止まる 
La capa vota, vota, attuorno, attuorno,
attuorno a tte! Attuorno a tte!
Stu core canta sempe nu taluorno:
Sposamme, oje né! Sposamme, oje né!
頂上は回って回って
君の周りを 君の周りを
この心は繰り返し歌う
結婚しよう 結婚しよう

Jamme, jamme ‘ncoppa, jamme jà,
Jamme, jamme ‘ncoppa, jamme jà,
funiculì, funiculà, funiculì, funiculà,
‘ncoppa, jamme jà, funiculì, funiculà!
(1番と同じ)

最後いきなり「結婚しよう」って、ものすごく急展開ですね!
頂上まで行ったらプロポーズしようと最初から心に決めていたのでしょうか。
それともテンションが上がってノリで言ってしまったのでしょうか?

日本ではなぜ「鬼のパンツ」と歌われている?

原曲は「登山電車で頂上に行こう!」という歌なのに、どうして日本では「鬼のパンツ」という歌詞で知られているのでしょう?

1962年にNHK「みんなのうた」で初めて発表された時は「登山電車」という原曲に忠実な歌詞の歌でした。その後、子供向けの替え歌として「鬼のパンツは強いぞ」という内容の『鬼のパンツ』が1975年に当時「うたのおにいさん」だった田中星児が発表したとされています。しかしJASRACのデータベースには「作詞者不詳」となっており、実際に歌ったのは田中星児ですが、歌詞を考えた作詞者はわからないようです。
それから子供向けの歌とした数多くの子供番組、子供向けCDなどにも収録され、同名の絵本なども出版されたことから、日本では子供受けの歌である『鬼のパンツ』として強いイメージで広がってしまったようです。

おにのパンツ
作詞:作詞者不詳

おにのパンツはいいパンツ
つよいぞ つよいぞ
トラのけがわでできている
つよいぞ つよいぞ
5ねんはいてもやぶれない
つよいぞ つよいぞ
10ねんはいてもやぶれない
つよいぞ つよいぞ

はこう はこう おにのパンツ
はこう はこう おにのパンツ
あなたも わたしも あなたも わたしも
みんなではこう おにのパンツ

どれだけ強くて丈夫なの???
って思ってしまいますが、実際にトラの毛皮でできたパンツを10年間履き続けたら、さすがに毛皮が痛んだり穴が開いてしまいそうですね。

イタリア人の方はこの「鬼のパンツ」という歌詞をどう思うのか聞いてみたいですね!

知る人ぞ知る二村定一「となり横丁」

『フニクリ・フニクラ』の替え歌では、1929年に二村定一(ふたむらていいち)氏が時雨音羽訳『となり横丁』というタイトルで歌っています。
この元気で明るいメロディとは裏腹に、「とにかく待ち焦がれるのは辛い」というちょっと悲しい内容で、なかなかシュールで面白い歌だと思います!
二村定一氏は1920年代から海外のポピュラー音楽などから独自で歌唱法を習得し、日本ではジャズ・オペラ・流行歌など幅広いジャンルで活躍し、お笑い要素のあるコミカルな歌も得意だったようです。1930年代には浅草オペラで劇団を立ち上げ、舞台や映画などで活動していました。

となり横丁
作詞:時雨音羽

となり横丁で待つ頃は 小雨がしとしと
となり横丁で待つ頃は 小雨がしとしと

橋のたもとで待つ頃は あかりがちらちら
君の笑顔を見る頃は 別れの風吹く

つらや 待つ身の身はつらや
せめて 待つ間の夜がほしや

君をよ 君をよ 君をよ 君をよ
焦がれて待つ間の身はつらや

横丁で待つ→橋の下で待つ→やっと会える頃にはお別れ

しかも「身がつらや」ということで、精神的にではなく肉体的に辛いという意味ですよね。
好きな人を待つ切なさというより、「雨の中ずっと待ってるのは体がキツイよ」という歌です。

なんだかシュールですね!