「私のお父さん O mio babbino caro」は、イタリアのジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini, 1858-1924)作曲の全1幕のオペラ『ジャンニ・スキッキ Gianni Schicchi』でスキッキの娘ラウレッタが歌うソプラノのアリアです。短い歌なので、アリアではなくアリエッタと呼ばれることもあります。
「私のお父さん」は、イギリス映画『眺めのいい部屋』(1986年)のオープニングや大林宣彦監督の『異人たちとの夏』(1988年)のなかで使われ、世界的に有名になりました。コンサートやリサイタルでもよく歌われているので、知っている方も多いでしょう。
プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』の概要とあらすじ
オペラ『ジャンニ・スキッキ』は、ダンテの『神曲』にある地獄篇第30歌に基づいて台本が書かれました。この作品はプッチーニが作曲した唯一の喜劇オペラであり、完成させた最後の作品(『トゥーランドット』は未完)でもあります。
同作は、1918年12月14日にアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されました。上演時間は約50分と全1幕の短い作品で、初演時は、3つの1幕のオペラを上演するプッチーニの<三部作>の3番目の演目として上演されました。ほかの2作は『外套』『修道女アンジェリカ』です。

物語の舞台はイタリアのフィレンツェ、時期は1299年9月1日。
フィレンツェの資産家ブオーゾ・ドナティが息を引き取ると、彼を取り囲む親族はその死を悼んでいます。しかし、内心では誰もが遺産の行方を気にしていました。というのも、全財産を修道院に寄付すると遺言状に書かれていたからです。
親族の一人であるリヌッチョは恋人のラウレッタと結婚したいと思っていたのですが、相続によって受け取れたはずの持参金が望めなくなり落胆します。
そこで、ラウレッタの父であるジャンニ・スキッキになんとか結婚できないかと相談したところ、スキッキに断られてしまいます。しかし、ラウレッタが「私のお父さん」を歌って懇願し、遺産を取り戻す協力をすることになりました。

スキッキは、ブオーゾの死を知っているのが身内だけだという事実を利用し、ブオーゾがまだ生きているように自身がなり変わり、遺言を改ざんしようと企てます。親族からもこの企てに加担するという約束を取りつけ、公証人を呼ぶことになりました。
公証人がやってくると、スキッキは親族に有利な相続になるよう述べていきますが、高額な遺産と家についてはスキッキ自身が相続すると宣言してしまいます。「法律によって遺言状を改ざんした者は片腕を切断され、フィレンツェを追放される」という警告を受けていた親族たちは、スキッキに反論することができません。こうして新たな遺言状が完成しました。
公証人が帰ると、スキッキは「ここは私の家だ!」と主張して親族を追い出してしまいます。娘のラウレッタとリヌッチョの結婚も実現できることになり、スキッキは観客にこう言います。「もし今宵、皆様が楽しめたのなら、私のしたことをどうかお許しください」と。
スキッキのこのセリフで幕が閉じます。
「私のお父さん」原曲歌詞と日本語訳
O mio babbino caro,
mi piace,è bello, bello.
Vo’andare in Porta Rossa
a comperar l’anello!
ねえ、私の大好きなお父さん
私が愛している人は、とっても素敵、素敵な人なの
ポルタ・ロッサに行きたいの
指輪を買うために
Sì, sì, ci voglio andare!
E se l’amassi indarno,
andrei sul Ponte Vecchio
ma per buttarmi in Arno!
そうよ、そうなの!どうしても行きたいの!
もしこの愛が無駄になったら
私はヴェッキオ橋に行って
アルノ川に身を投げるわ!
Mi struggo e mi tormento!
O Dio,Vorrei morir!
Babbo pietà, pietà!
私は苦しんで、悩んでいるの!
ああ神様、いっそ死んでしまいたい!
お父さん、どうか許して、お願いだから!