日本歌曲

『雪の降るまちを』歌詞の意味・解説

「雪の降るまちを」(ゆきのふるまちを)は、中田喜直(なかだ よしなお, 1923-2000)作曲、内村直也(うちむら なおや, 1909-1989)作詞による楽曲で、1952年に発表されました。
冬の情景と人の心情を叙情豊かに描いた、日本を代表する名曲の一つです。

「雪の降るまちを」歴史と解説

NHKラジオドラマ「えり子とともに」の挿入歌

NHK連続放送劇『えり子とともに』の番組収録シーン
画像出典:https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009060218_00000

「雪の降るまちを」は、NHKラジオで1949年(昭和24年)から1952年(昭和27年)まで約3年間放送された連続放送劇『えり子とともに』の挿入歌として誕生しました。
このドラマは、大学教授とその娘えり子を軸に、戦後の荒廃した時代に「幸福とは何か」を問いかける作品でした。

楽曲誕生のきっかけは、実は偶然の産物だったのだそう。1951年(昭和26年)12月26日、放送前日のリハーサルで台本の分量が足りず、放送時間が余ることが判明しました。
その余白を埋めるため、脚本家の内村直也が急きょ1番の歌詞を書き、音楽担当の中田喜直が即座に作曲しました。
主演の阿里道子南美江が新しい劇中歌として歌ったところ、大きな反響を呼んだのです。

その後、2番・3番の歌詞が追加され、フランス帰りのシャンソン歌手・高英男の歌唱によりレコード化され、広く親しまれるようになります。

山形県鶴岡市との縁

作曲者の中田喜直がこの曲を作る際に着想を得たのは、知人である菅原喜兵衛の住む山形県鶴岡市を訪れたときに見た雪景色だったといわれています。

この縁から、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」では、フィナーレで「雪の降るまちを」が歌われるのが恒例となっています。
中田喜直の存命中は本人が鶴岡を訪れて指揮を執り、没後は夫人の中田幸子がその役割を担ってきました。

また、戦後の復興期に生まれた作品であることから、戦争の悲しみを越え、穏やかな日常と平和を願う思いが込められていると解釈されることもあります。

ショパンとの関連性

画像出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Fr%C3%A9d%C3%A9ric_Chopin

「雪の降るまちを」の旋律の一部が、ショパンの《幻想曲 ヘ短調 Op.49》冒頭のメロディーと似た印象を受けるという声も聞かれます。

中田喜直は学生時代、映画「別れの曲」の影響でショパンに強く傾倒し、もともとはピアニストを志していました。
そのため、この曲に限らず、彼の作品にはクラシック音楽、とりわけロマン派音楽の影響が感じられるものが少なくありません。

「雪の降るまちを」原曲歌詞

【1番】
雪の降る街を 雪の降る街を
思い出だけが 通り過ぎてゆく
雪の降る街を 遠い国から落ちてくる
この思い出を この思い出を
いつの日か つつまん
温かき幸せの ほほえみ

【2番】
雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を 一人心に満ちてくる
この悲しみを この悲しみを
いつの日か ほぐさん
緑なす春の日の そよ風

【3番】
雪の降る街を 雪の降る街を
息吹とともに こみあげてくる
雪の降る街を 誰も分らぬわが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か 祈らん
新しき光り降る 鐘の音