日本歌曲

『赤いくつ』歌詞の意味・解説

「赤いくつ」は、本居長世(もとおり ながよ, 1885-1945)作曲、野口雨情(のぐち うじょう, 1882-1945)作詞により、1922年に発表されました。 異国へと連れられた少女への切ない思いを描いた、日本を代表する童謡の一つです。

「赤いくつ」歴史と解説

「赤いくつ」は、作曲家・本居長世と詩人・野口雨情のコンビによって生み出されました。

(左から)本居長世、野口雨情
画像出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%85%E9%95%B7%E4%B8%96https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%9B%A8%E6%83%85

二人は「シャボン玉」「七つの子」など数多くの名作童謡を世に送り出しており、「赤いくつ」もその代表作に含まれます。
楽曲は1922年(大正11年)にリリースされ、以来100年以上にわたって日本人に親しまれ続けています。

詩のモデルとなった少女・きみ

「赤いくつ」には、実在のモデルがいたとされています。

それは野口雨情の知人の娘、佐野きみ(※1)という少女です。
きみの母・岩崎かよは、北海道での開拓移民生活の苦しさから、きみをアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託し、夫妻とともにアメリカへ渡ることになりました。
雨情はこの話を聞き、遠い異国へ渡ったきみへの切なる思いを詩に込めたと伝えられています。

ところが、実際にはきみは渡航前に結核を患い、宣教師夫妻とともに渡米することが叶わず、永坂孤女院(現・十番稲荷神社社地)に預けられたまま、1911年(明治44年)に9歳という幼さで亡くなっていました。
母のかよがそのことを知ったのはずいぶん後のことだったといわれており、詩の中の「異人さんにつれられて」という言葉の背景には、こうした哀切な実話が存在しているのです。

※1……本記事では、墓誌銘に刻まれている「佐野きみ」の表記を用いています。

横浜との縁

きみが過ごした横浜には、この童謡にちなんださまざまな記念碑が残されています。

「赤い靴はいてた女の子の像」

横浜の観光名所のひとつである山下公園には、「赤い靴はいてた女の子の像」が佇んでおり、横浜を代表するモニュメントの一つとして有名です。
桜木町駅前から赤レンガ、横浜中華街などベイエリアを巡る観光周遊バスにも「あかいくつ」という名前がつけられています。

「赤い靴母子像」
画像出典:https://www.visit-shizuoka.com/spot/detail_278.html

また、静岡県清水市(現・静岡市清水区)の日本平山頂には、きみの生誕地にちなんだ「赤い靴母子像」があります。この像は全国から集められた浄財をもとに、1986年に建立されました。

「赤いくつ」の意味

「赤いくつ」の歌詞は、曲名が示唆するように赤いくつを履いた女の子が「異人さん」に連れられて遠い外国へ渡っていく情景を、静かに、そして切なく描いています。
無邪気な子どもの象徴であると同時に、知らない土地への旅立ちという非日常を表す鮮やかな色彩として際立っているのが特徴です。

以下で印象的な詩句の一部を解説します。

  1. 「今では 青い目になっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう」
    会えなくなってしまった少女への思慕と、彼女が異国の地でどのように生きているかを想像する、遠くを見つめるようなまなざしが込められています。
  2. 「横浜の埠頭(はとば)から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった」
    愛する存在が遠い海の彼方へと去っていく情景が凝縮されており、再会の叶わない別れの悲しみと、残された者の孤独な思いが滲み出ています。

一見、子ども向けの素朴な歌に見えながら、その背後には実話に基づく深い哀しみが宿っており、聴く者の胸に静かに響き続ける作品です。

「赤いくつ」原曲歌詞

赤いくつ はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

赤いくつ 見るたび 考える
異人さんに 逢うたび 考える